ケイウノダイヤモンドヒストリーHistory of K.UNO Diamond
―特別な輝きを持つ理由がわかる―
2017年、“輝き”において世界最高ランクの評価を獲得したケイウノのダイヤモンド。
日本・ベルギーでの研磨の修行や研究内容、110%以上の輝きを放つ『プレミアムラビィングハート』の誕生秘話など
、ケイウノダイヤモンドの歩みをご紹介します。
第1章日本での修行
きっかけ
2005年。創業から24年が経ったころ、自社研磨技術を開発するプロジェクトが始動しました。「ずっとオーダーメイドでジュエリーをつくってきたけれど、石は仕入れたものを使っている。」「石も自分達で希望の形にカットできてこそ、本当のオーダーメイドになるのでは。」という、“真のモノづくり”に対する想いからでした。
無知からの挑戦・山梨での修行
当時、ダイヤモンドの研磨を日本で行っている人はほとんど居ませんでした。本も無い。情報も無い。そんな中、山梨県に昔、研磨を行っていた人が居ることを知ります。ケイウノの職人相庭(あいば)は、修行のためケイウノでのジュエリー製作の傍ら、週2回山梨県へ通う日々を1年間ほど続けました。1年かけて、原石をスタンダードなカットである「ラウンドブリリアントカット」へ研磨できるようになります。しかし、満を持して鑑定に出してみたものの、結果は5段階中、上から4・5番目のグレードしか出ない悲しい結果でした。師匠へあとどのくらいで最高評価のグレードになるのかと聞くと、実は、その師匠が昔研磨をしていた時代は、まだ「エクセレント」というグレードそのものが無く、当時の最上級評価であった「ベリーグット」の研磨をしていたのだということがわかります。当時は最高ランクのカットを行っていた方でしたが、そのときよりも技術は進歩してしまっていたのです。基本の技術を習得した相庭はさらなる高みを目指し、山梨での修行を卒業しました。
日本での技術習得に限界を感じる
そこからは、毎日練習の日々が続きました。自社で3台、ダイヤモンドの研磨機を購入します。しかしながら、その他の道具や機械は旧式のものだったため、どう頑張っても高い精度を出せない環境でした。相庭は最高のカットをするためには最高の道具とそれらを使いこなす知識・経験が必要だと痛感します。しかし、日本には、どこにもない。どのブランドも、カット済みのダイヤモンドを仕入れることが当たり前だからです。そして、日本を飛び出ることを決意しました。
第2章ダイヤモンドの中心地
ベルギー アントワープへ
研磨の本格修行
アントワープは、世界中のダイヤモンドの原石が集まり、磨かれたダイヤモンドがまたそこから世界に広がっていく場所。ダイヤモンドの存在が文化として根付き、最先端技術機器を扱う工房や機械メーカーも立ち並ぶ場所です。相庭は、本格的なトレーニングのため直接工房へ弟子入りをします。飛び込んだのは、何千社ものダイヤモンド工場が集まるダイヤモンドストリートにある工場でした。遠い日本から来た相庭を迎えてくれたのは、5人ほどの職人と、厳格な工場長でした。
工場長の叱咤
まず、「テーブルファセット」と呼ばれるダイヤモンドの天面を研磨する仕事を任されました。
ひたすらテーブル位置を見定め、面をつける日々が何週間も続きます。しかし、ベルギーにいられるのも限られた期間のみ。焦りを感じ、工場長へ「もっといろんな工程を学ばせて欲しい」と訴えます。その訴えに、工場長は怒りました。“こっちの職人は、数年かけて下積みをしている。何を言っているんだ!”と。それもそうです。アントワープに脈々と受け継がれているダイヤモンド研磨の技術。短い期間ですべて学ぶことは到底出来ません。限られた時間で最大限吸収できるように、相庭は休憩の時間を勉強に当て、他の職人達の作業を見せてもらうことにしました。
テーブルファセットについて
ダイヤモンドの天面にあたる「テーブルファセット」と呼ばれる面は、一番面積の広い面(ファセット)です。現在最も輝くとされている「ラウンドブリリアントカット」は、合計57の面で構成されており、そのうちのひとつ「テーブルファセット」はダイヤモンドに入った光を観察者の目に返す大切な役割を持っています。
先輩職人達の協力
毎日休憩せず作業を覗く相庭。先輩である職人たちも見兼ねて、工場長の目が届かないときを見計らって協力してくれるようになります。やったことのない工程を教えてくれたりするなど、先輩達のおかげで限られた期間でもたくさんのことを吸収することができました。日本へ帰る時が近づき、最後の1週間には、ついに熱意が工場長に伝わりました。ダイヤモンド研磨の核であり輝きを左右する「フィニッシュ」という工程を、相庭に伝授してくれたのです。旅立ちのときには、工場長も「俺はベルギーでのお前の父親だ」と言ってくれるまでになりました。
第3章帰国後ケイウノでの研究
500ピース中500ピース「トリプルエクセレント」でカットができるように
ベルギーでの関係作りもでき、プロジェクト開始時には手に入れられず悩んでいた工具やマシンなども、直輸入ができるようになりました。そして、帰国後会社としても新たに機械とダイヤモンド用高精度スキャナーを購入。これにより、正確な数値の予測計測や結果確認を行えるようになり、カットの効率・精度が飛躍的に向上しました。
日本ではヒントすら見つけることが難しかった中、ダイヤモンドが文化に根付いているベルギーには、たくさんのヒントが転がっていました。修行中に全てを習得することはもちろんできませんでしたが、そこで見たことを自分のものにするべく、その後1年間トレーニングに励みました。帰国から約1年後、挑戦をスタートして初めて、自社研磨で最高グレードの「エクセレント」の評価を出すことに成功し、さらにトレーニングと研究を進め、500ピース中500ピース、「トリプルエクセレント」でカットができるようになります。(※トリプルエクセレント…「エクセレント」の中でも、カット総合評価および、磨き・対称性がすべてパーフェクトなもの。現在の最上級グレード。)
他にはないダイヤモンドを目指して、「輝き」とプロポーションの研究を開始
自分達で最高評価であるカットを研磨できるようになった中で、相庭が気づいたことがあります。それは、一番輝くとされている最高評価「トリプルエクセレント」であっても、見比べるとなんとなく暗いものがあったり、虹色の光が強いものがあったりする、ということでした。そのとき、以前社長が言っていた言葉を思い出します。「同じグレードのダイヤモンドを見ていても、全く同じグレードなのに輝きの違いを感じた。この違いは何なのか?当時確認できる資料などたくさん目を通したがその違いについての説明はなかった。明らかに違うこの輝きを、自分達の力で追及したい。」相庭は、その疑問に対する答えに近づいていることを感じ、研究を進めていきます。
目指したのは、120点のダイヤモンド
鑑定機関で評価付けられるトリプルエクセレントの中には、許容範囲があります。文句のつけようのない完璧な3EXから、ぎりぎり範囲内の3EXまで。100点満点とも表現できる最上級のカット評価でカットできるようになった相庭は、学生時代の先生の言葉を思い出します。“99点は99点でしかない。でも、100満点の子は、もしかしたら120点を出せたかもしれない。可能性を秘めているという点で、100点と99点には大きな違いがある。”―そこで相庭は、「せっかくなら120点のダイヤモンドを目指そう。他のどこにもない、究極の輝きを目指そう。」と決意を固めます。
運命を決めた相庭の着眼点
ダイヤモンドの研究を通じて出会った、一人の数学者がいました。相庭の考えと共鳴し、輝きが強いダイヤモンドの可能性を探るため協力し3D光学解析技術を独自で開発。ダイヤモンドの輝きを、「ブリリアンス(明るい白い光)」「ファイア(虹色の光線)」「スパークル(フラッシュのような光)」の3つに分解し、それぞれを極めることに注力しました。従来一番良いとされてきた「アイディアルカット」は、かなり強い「ブリリアンス(明るい白い光)」が出ることがわかっていました。その一方、「ファイア(虹色の光線)」「スパークル(フラッシュのような光)」は、性質上ダイヤモンド内部で何度も反射を繰り返さないと出ない光線。すぐに反射させる「ブリリアンス(明るい白い光)」を強くしようとすると、「ファイア(虹色の光線)」「スパークル(フラッシュのような光)」は弱くなります。それは光学的に宿命とされてきたことでした。しかし、相庭が目指したのは【ブリリアンスを弱めることなくファイアとスパークルを最大限強めること】でした。(最も輝くとされてきた「アイディアルカット(トルコウスキープロポーション)」が考案された当時の論文では、そもそもファイアやスパークルについての記載がなく、そこまで高度な研究が難しかったことが伺えます。)
何十万通りものプロポーションを全て検証
数学者と共に開発した3D光学解析を用いて、光の通り道や放たれる光の量を計測・検証しました。朝出勤して、コンピューターへ自動計算を設定し、朝から晩まで計算を稼動。そしてそれを1ヶ月ほどひたすら続け、膨大なデータを収集しました。
そしてメイドインジャパンの最高の輝きが生まれる…